ファンダメンタルズと経済~アジア通貨危機~

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ファンダメンタルズと経済~アジア通貨危機~

1997年に「アジア通貨危機」は起こりました。それまで、アジアの奇跡とまで言われていたほどアジア経済は急成長を遂げていました。
しかしアジア通貨危機により、アジア経済は一転して韓国などが破綻寸前に追い込まれるまでメチャクチャになってしまいました。
「1977年アジアに何が起こったのか??」



アジア通貨危機を説明する前にアジア経済がなぜ急成長できたかを知る必要があります。
1985年にアメリカ日本イギリスフランスドイツの先進5カ国が、アメリカの貿易赤字を何とかする為に「ドル安になるように協力する」という「プラザ合意」が結ばれました。
これにより、為替相場は戦後の円の最高値である”79円75銭”をつけるまで円高ドル安に進みました。
円高になってしまうと、日本の輸出企業は大きなダメージを受けます。円高不況と言われるほど、この頃の輸出企業の業績は悪化しました。
そこで、日本企業は生き残りをかけて工場をアジアに移す等してアジアに進出していきました。
アジア諸国の人件費は日本の何十分の一で済み、円高の為、工場の建設費なども安く押さえることができる為、経費を抑えることができ業績を回復しようとしました。
さらにアジアの国々にとっても、日本企業の進出は大きくプラスになります。
まず、工場が作られる為、現地の人の職が増え失業率の低下に繋がります。
また、その工場が利益を上げれば国に支払う税金が多くなるので税収の増加が起こります。
さらに、日本産業の技術も企業と一緒に進出してくる為その国の技術の水準が上がる事になります。

アジア経済の急速な成長には上の理由以外にもアジアに外貨が入りやすいように規制を緩和したことも大きく影響しています。
経済が発展するには多くのお金を必要とします。
そこでアジア諸国は海外から多くのお金を借りて経済を発展させようと試みました。
しかし、発展途上国は信用が低いため海外からお金を借りる事は難しいので、先進国に比べ圧倒的に金利が高いのです。
しかも当時のアジア諸国は実質的なドルペック制になっていたのでものすごい勢いで海外からお金が入ってきました。
ドルペック制とは、ドルに対する固定相場制のことで海外から見るとアジア諸国の通貨を持っている事とドルを持っている事は同じ意味なのです。
例えばドルの金利が5%でタイ(バーツ)の金利が10%だったとします。
普通にドルで預金しても1年後には5%しか増えません。しかし、ドルと固定されているバーツに換えて預金すると1年後には10%増えることになります。
さらに、タイ国内でも簡単に安くお金を借りられる事が起こります。
例えばドルの貸し出し金利が7%でタイ(バーツ)の貸し出し金利が12%だったとします。
普通にバーツで借りると1年後には14%の利子を付けて返さなければいけませんが、ドルに換えるだけで1年後に支払う利子は7%に減らすことが出来ます。
ここでもまたプラザ合意が影響してきます。プラザ合意によりドル安になっている為、ドルと固定されているアジア諸国の通貨(例えばバーツであれば)もバーツ安になっています。
この為、アジア諸国の輸出企業の業績が上がることになります。

こうして、アジア経済は急成長を遂げました。
先進国とも発展途上国とも呼べない状況になったため、新興市場国と呼ばれるようになりました。

ここまで成長と遂げたアジア経済ですがなぜアジア危機が起きたのでしょうか。
そこには、経常収支が大きく影響しています。
経常収支とは海外との商品の取引による儲けを表す貿易収支サービスの取引による儲けを表すサービス収支の合計のことです。
1990年代に入ってからのアジア諸国の経常収支は赤字でした。
一般的に経常収支の赤字が続くとアジア諸国の通貨が海外に大量に出て行くことになります。その為、足りない分のお金を新たに大量に刷る必要が出てきます。
するとその国の通貨の価値はどんどん下がっていくことになります。この為、ドルペック制を維持することが難しくなってきます。
しかし、当時のアジア諸国の輸出がものすごく伸びていたので海外の人たちは将来的には経常収支も黒字になるだろうと見込んで投資を続けていたので、アジア諸国は新たにお金を大量に刷る必要が無かったのです。
このまま行けば何の問題も無くアジア経済は更なる発展を遂げたでしょうが、1995年に大きな変化が起こってしまいました。

プラザ合意の10年後、それまでドル安で進めていたアメリカは正反対のドル高政策に変更してしまったのです。
そしてその後の為替相場はドル高に進んで行きました。
この為ドルペック制を展開していたアジア諸国の通貨も高くなっていきました。アジア諸国の輸出は悪化していくことになります。
海外の人たちは、アジア諸国の貿易が黒字だった為、経常収支の赤字は将来的に黒字に変わると見込んで投資を続けていた為、アジア諸国は新たにお金を大量に刷らずに済んでいたのです。
しかし、要の貿易が悪化していったためアジア経済の将来に疑問を持ち始めました。そこでヘッジファンドらはアジア通貨を大量に空売りを始めました。
この辺りは、ポンド危機と同じ流れです。
アジア経済の発展の要はドルペック制を維持できるかどうかにかかっています。
ドルペック制を維持できなければ海外からお金が入ってこなくなりアジア諸国は大量に自国通貨を刷らなければならなくなるからです。
そこで、アジア諸国の中央銀行はドルペック制を維持する為に自国通貨の買い支えを行うことになります。
ヘッジファンドはアジア諸国の中でも経常赤字の悪化がひどかったタイに狙いを付けてバーツの空売りを大量に行いました。
バーツ売りが加速していくと、タイに投資していた投資家達も、タイはドルペック制を維持できないのではないかと心配し、資金を引き上げるバーツを売ってドルに換える)ようになっていきました。
こうしてタイの中央銀行の持っていた外貨が底をつき、タイ政府は1997年7月2日にドルペック制を辞め変動相場制になりました。
この為、バーツが大暴落を起こし、ドルでお金を借りていたタイ企業の経営が悪化し、倒産する会社が増え始めタイ経済は悪化していきました。
経済が悪化することによりバーツの信用は更に下がりバーツ売りが進んで行きました。この悪循環によりタイ経済は下降の一途を辿る事になります。
タイのようにドルペック制を維持できなった他のアジア諸国の経済も悪化していきます。
マレーシアインドネシア韓国などがタイと同じように暴落していきました。
短期投資の割合の高かった韓国はデフォルト(債務不履行)の寸前まで行きました。
デフォルト(債務不履行)とは借金を約束通り返済できなくなることで個人で言う自己破産のような物です。

ドルペック制を守れた香港ですが、ヘッジファンドとの戦いが原因で「世界同時株安」が起こりました。
香港政府はヘッジファンドが空売りをやりづらくする為に300%を超えるまで金利を上げました。この為、国内の景気は悪化し香港の株安を引き起こしました。
香港経済が悪化したことにより、海外からあまり物を買わなくなる為、香港に輸出している海外の企業の業績も悪化することになり、その企業の株も売られることになります。
また、日本やヨーロッパやアメリカなどの会社は香港に投資をしていたり、香港に支店を持っていたりするので、それら海外の会社にも影響を及ぼしました。
そこでニューヨーク・ロンドン・日本などの世界的に大きな株式市場で大暴落が起こった結果、世界経済への不安が一気に高まり、株価が安くなる前に出来るだけ早く売っておこうと考える投資家が増え世界中の株が売られるようになり世界同時株安が引き起こりました。

アジア通貨危機後のアジア経済は、アジア通貨が大幅に下がった結果、アジア製品は海外から見ると割安になったのでアジア諸国の輸出が大幅に伸びるようになりました。
また、アジア内から見ると海外製品は割高になったため、アジアの輸入は大幅に減ることになります。この為、アジア諸国は貿易黒字となり通貨安の原因であった経常収支の赤字が解消されました。
こうして、アジア経済は回復していきました。
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