ファンダメンタルズと経済~ポンド危機~

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ファンダメンタルズと経済~ポンド危機~

1992年に「ポンド危機」は起きました。ポンドとはイギリスの通貨ですので「イギリスに関する危機」ということです。
それはまさに、ヘッジファンドとイギリスの戦いです。
イギリスにポンド危機を仕掛け最終的に約1200億円ものお金を稼ぎ出したのは「ジョージ・ソロス」という投資家が率いる「クオンタム・ファンド」というヘッジファンドです。
その戦い以降、ジョージ・ソロスは”ヘッジファンドの帝王”として世界的に有名になりました。

では、ジョージ・ソロスはどのようにポンド危機を仕掛けていったのでしょうか?
2001年の年末まで、ドイツ、フランス、イタリア、スペインなどのヨーロッパの12カ国は、それぞれ自国の通貨を持っていたのですが、2002年1月から「ユーロ」という共通の通貨を使うことにしました。
なぜ共通の通貨と使用するかの最大の理由は、ヨーロッパの国々が協力してアメリカに負けない大国になろう」としたからです。
圧倒的な力を持っていたアメリカが中心となって世界経済をまわしていた場合、「ニクソン・ショック」の時のようにアメリカの内需に世界経済が大きく振り回されてしまうからです。
しかし、今までバラバラに動いていた各国の通貨をいきなり1つの通貨にする事(ほとんど同じ動きにする)は困難です。
そこで、ユーロという共通通貨にする準備段階として「EMS(欧州通貨制度)」が出来ました。
当時のヨーロッパはドイツが圧倒的な経済力を誇っていたので、ドイツのマルク基軸通貨とし各国の条件を設定しました。
つまり、ヨーロッパ内でドイツマルクを基軸通貨とした固定相場制を行ったのです。
しかし、完全に固定しておくのは難しいので±6%内の変動幅を保つ(EMS参加条件)という固定相場制でした。

1990年10月にイギリスはEMSに参加しました。
当時のイギリスはインフレが原因で景気がよくありませんでした。
景気がよくない場合、国としては金利を下げて国内の金回りを良くしなければいけません。
インフレの場合、国としては金利を上げて通貨の価値を上げなければいけません。
この相反する対策に板ばさみあっていたイギリスは、インフレを抑える為にEMSにポンド高になるように設定して参加しました。
ポンド高になれば、安い輸入品がイギリス国内に入るようになり物価は下がる(インフレが抑えられる)方向に進むからです。
そして、インフレが抑えられれば、金利を下げることが可能になります。
すると、国内の金回りが良くなり景気が回復するという筋書きを立てたのです。

EMS参加後のイギリスは、筋書き通りインフレを抑えることに成功しました。
しかし、景気は回復いませんでした。
EMS参加前のイギリスはインフレを抑える為に金利を上げて行きました。
EMS参加後のイギリスはインフレを抑える事に成功したので景気を良くする為に金利を下げて行かなければいけないのですが、あまり金利を下げる事が出来ませんでした。

そこにイギリスの誤算があったのです。
イギリス国内の事だけを考えれば、金利を下げる事は可能でした。が、イギリス経済は近隣諸国の影響も強く受けます。
イギリスの誤算は、ドイツがEMSの基軸通貨であるマルクの金利を上げていたので大して金利を下げる事が出来なかったのです
ドイツはEMSに参加した1990年10月に、経済力の強い西ドイツが経済力の弱い東ドイツを吸収する形でドイツ統一が行われました。
その為、東ドイツを発展させるため、大量にマルクを使う事になったのです。この為、大量にマルクが出回る事になりお金の価値が下がる、つまりインフレになる心配が強くなっていきました。
インフレへの懸念に対応するためにドイツは金利をあげたのです。
もしイギリスがどんどん金利を下げたならば、マルクとポンドの金利差が広がり大幅なポンド安になる危険が高まる事になります。
大幅なポンド安となると、±6%の変動幅を超えEMSに参加できなくなる危険性があった為、大して金利を下げる事が出来なかったのです。

しかし、このような状態ではいつまで経っても景気は回復しないため、1992年夏頃には多くの人たちはEMSの条件を守れなくなる日が来るだろうと考え始め、ポンドを手放す動きが増えていきました。
つまりポンド安の方向に動いたのです。この為、イギリスの中央銀行であるイングランド銀行が大量にポンドを買い支えたりしたため、何とかEMSの範囲内に留めておく事が出来ました。
ポンドを買い支えるという事はイギリスが持っている外貨を売ってポンドを買う事になるため、外貨の量には限りが有りいつまでも買い支えることは不可能でした。
そこに目をつけたヘッジファンドらが大量にポンドの空売りを仕掛けたため、1992年9月には、EMSの条件ギリギリのところまで下がってしまいました。
外貨も無くなり始め、買い支えが厳しくなっていたイギリス政府は最後の賭けに出ました。
1992年9月16日午前11時にEMSの条件を守るため金利を上げることにしました。
それまでの金利は10%でした。とりあえず12%にしてポンドを買う人を増やそうといました。
しかし、多くの人はポンド安になると思っていたため、市場はほとんど反応しませんでした。
そこでイギリスは同じ日の午後2時にさらに3%金利を上げ15%にすると宣言しました。
1日で5%もの金利を上げたにもかかわらず市場はほとんど反応を示しませんでした。
それどころか、この異常なイギリスの行動に対しヘッジファンドはさらに攻撃(ポンドの空売り)を強めていきました。
1992年9月16日にイングランド銀行は3兆円もの外貨を使って買い支えようとしたが結局それも無駄に終わりました。
そして同日午後4時にEMSを脱退することを決め、買い支えをやめました。
支えの無くなったポンドはものすごい勢いで下落していきました。

ジョージ・ソロスはこのポンドの空売りで10億ドルも儲けたといわれています。

EMSを脱退したイギリス経済はその後、皮肉なことに景気が回復することになりました。
ポンドが暴落してポンド安になった結果、イギリスの製品は海外から見ると割安になり、輸出企業が好調になります。
さらに、金利を大幅に下げた結果、お金の回りが良くなり、景気が回復していきました。

しかし、このままでは、インフレの問題が出てきます。
そこで、イギリス政府はインフレ・ターゲットを導入することにより、上手く切り抜けました。
インフレ・ターゲットとは国が物価上昇率(インフレ率)の目標を示し、コントロールする政策の事を言います。
この制度により、インフレ率をコントロールしながら将来の物価上昇率を示し対応し続けることにより、通貨の信頼を高めることに成功しました。
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